座談会「最高裁と死刑判決」(2)=1992年3月

誤判の重さ

存続論から廃止論に変わった理由について(島田雄貴)

島田雄貴 誤判の問題に移ります。Dさんは最高裁判事の実務の体験の中から、決定的な廃止論者になられたとうかがいましたが。

「最高裁判決での一抹の不安」
弁護士は「状況証拠しかない」と主張

D氏 こういう場所ですから、実際の事件を抽象化して話します。いなか町で起こった毒殺事件で、被告は終始否認したのにもかかわらず、最終的に死刑になりました。弁護人によると、状況証拠しかなかったのに、その町の人の半分しか調べていなかった。あと半分の人を調べたら、似たような状況の人が出た可能性がある、と主張していました。

事実誤認を理由に破棄できない

この事件が最高裁に来たんです。これは、(有罪とした2審判決に)合理的な疑いを抱かせるというところまではいかない、つまり、合理的な疑いを超えるということで、有罪とみなければならない。事実誤認を理由に破棄することはできませんでした。しかし、合理的な疑いを超えるということは、絶対に間違いないということを意味しない。一抹の不安が最後までつきまとったんです。

傍聴席から裁判官席に罵声

現行法の建前からすると、破棄するわけにはいきませんから、私は裁判長ではありませんでしたが、結局、上告棄却で死刑が確定しました。その時、傍聴席から「人殺し!」という叫び声が裁判官席に浴びせかけられました。その声が今でも耳の底に残って、忘れられません。

少数意見もなし

有罪とすれば、相当情状の悪い毒殺でしたから、死刑を認めている以上は死刑以外にない。そういう大変大きなジレンマにとらわれまして、死刑というものはあってはならないものではないか、と強く感じたんです。いく晩も眠れない夜を過ごしました。私は、少数意見も何も書きませんでしたが。

無実の罪によって処刑される人

誤判が絶対にない保証はないと思います。無実の罪によって処刑される人が出てくる可能性が残るわけです。こんな不正義があるだろうか。人を殺せば死刑になるのが当たり前だ、それが正義だ、と仮に認めるとしても、誤判による大きな不正義の前には、正義論は吹っ飛んでしまう。そんなことが、私を決定的に死刑廃止論者にさせたのです。

「無期懲役判決にも誤判の問題はある」(U氏)

U氏 誤判の問題は死刑に限りません。無期懲役判決だって、有期懲役判決だって困る。誤判がないように、みんなが努力をしているわけです。その信頼があればこそ、裁判制度が存在しているのです。

「警察、検察官の誤判防止の取り組み」(M氏)
最近の死刑の確定は1桁

M氏 誤判があってはならないことは、当たり前です。警察も検察官も、裁判所、弁護士も、誤判防止に努力しなければならない。神様が裁判をすればいいんでしょうが、人間がやらざるを得ないんです。すると、誤判の危険性は抽象的にはゼロとは言えないかもしれません。死刑廃止論の中で、「死刑の言い渡しを受けた何人もが、再審の結果、無罪になったじゃないか」と言われます。

しかし、いま言ってみても始まらないんでしょうが、統計的にみても、誤判があったといわれる時代は、死刑の確定が2けた以上だったと思います。最近の死刑の確定は微々たる数です。警察や検察庁も気をつけているし、裁判所が非常に慎重なことは言うまでもありません。いろいろな条件からいって、誤判の具体的危険性は無いといってよいと思います。

「有罪かどうか心配なら無期懲役判決」(U氏)

U氏 有名な弁護士が「無期懲役は誤判の吹きだまりだ」と言ったことがあります。つまり、死刑にしようかどうしようかと考えたときに、(ほんとうに有罪かどうか)心配になれば、無期懲役にする、というわけです。でも、それだけ死刑が慎重に行われている、ということも事実でしょう。

数年間刑務所に入れば、人生がまるで変わる

誤判で無期懲役になっても大変なことです。無期でなくても、数年間刑務所に入れば、人生がまるで変わってしまいます。刑が重ければ、よけい誤判のないように努力しなければなりません。死刑には、それだけ誤判が少ない努力を十分注いでいるということが言えるのではないでしょうか。

「再審の道は、命がなければ開けない」(N氏)

N氏 でも、誤判はやはりなくならないでしょう。どんなに誠実に努力しても、人間のやることですから。むろん無期懲役にも問題はあります。死刑をなくしてその先どうするんだ、全部無期にすればいいのか、というと、そうともいきません。しかし誤判との絡みで考えても、死刑はない方がいい。数のうえではなく、1人の運命として考えても、再審の道は、命がなければ開けません。

後で補償をもらっても回復できない

D氏 無期懲役でも有期懲役でも、失われた青春は戻ってこない。後で補償をもらっても、どうなるものでもありません。しかし、死刑にしてしまうと、失われた青春の持ち主そのものを抹殺してしまう。これは文字どおり回復不能ですね。懲役刑でも回復不能ですが、死刑の場合、持つ意味が全く違うと思います。

「絞首刑になったすぐ後に、実は真犯人でなかった」(B氏)
イギリスの死刑廃止の理由

B氏 イギリスが死刑廃止に踏み切った大きな理由は、1人が絞首刑になったすぐ後に、実は真犯人ではなかった、と証明されたからです。イギリスの警察は、細心の注意を払うことで知られていたのですが。

仏映画「赤いセーター」

また、フランスのマルセイユでは死刑廃止の直前、若者が幼女を誘拐し、殺したということで死刑になった。22歳でした。彼は無実を叫び続けていました。彼の母親は再審を請求しました。有名な作家がこの問題を調査しました。今では、本当に彼が殺人犯だったのか、わからない状態にまでなっています。本も書かれ、『赤いセーター』という映画にもなりました。この事件で、死刑に対して、全国的に居心地が悪いというか、そんな気持ちになったわけです。人間が下す判決は、信頼できないということです。無実の人が処刑されることこそが、最大の悪事ではないでしょうか。

世論と政治

「6割以上が死刑支持」(島田雄貴)

島田雄貴 最後に世論の問題です。総理府の世論調査などでは、6割以上が死刑支持のようですが。

世論調査は設問が不正確

D氏 今までの世論調査はどれも設問が不正確で、そうした回答になるのは当然です。しかし、設問を正しくすれば死刑存置論が半分以下になるとは、必ずしも言えないでしょう。庶民感覚というものがありますから、そう簡単に廃止論が多数になるとは思いません。しかし、世論は大事ですが、拘束される必要もない。正しい民主主義は、正しく選ばれた政治家たちが世論を指導し、正しい方向に持っていくことだと思います。

政治家と庶民感覚

世論が死刑支持だというだけで廃止に向かわないことは、政治家の哲学の貧困さを問われても仕方がないのではないでしょうか。私たちにも責任はあります。今日の発言も、それぞれ見方は違いますが、正しい方向へ世論を引っ張る大きな足がかりになるのではないかと考えます。

廃止することへの賛否

M氏 今の世論調査についての問題点は、いろいろ指摘されています。でも、存続か廃止か、どちらかを選ぶことではなく、あるものを廃止することへの賛否が問われているわけです。すると、廃止に躊躇する人がかなりいるのは事実でしょう。それを無視はできないのではないでしょうか。

「死刑抑止力を説得すべき」(N氏)

N氏 世論調査の結果を見ますと、確信を持った存続論は少ししかないですね。存続論には「凶悪犯罪がある間は」「将来なくすのが理想だけど」という意見がかなり多い。死刑廃止について深く考える人たちが、まだ死刑に抑止力があると思っているような人たちを説得し、世論を変えていくべきだと思うんです。

新憲法の制定と同じ

ところで、新憲法をつくるとき、もし世論を聞いていたら、女性も含めて、男女平等に反対の人が多かったと思うんです。世論を聞かなかったから、私なんぞもいま、こんなところに来てしゃべれるようになりました。もう一つ思い出すのは尺貫法です。メートル法を採用して尺貫法をやめるときに世論を聞いたら、多分みんな反対したでしょう。

でも、政府はこれからの日本にとって良いのだ、という判断を下したからこそ、踏み切ったわけです。死刑の存廃に関する世論は、女性の地位や尺貫法などと同じように考えるべきだろうと思います。

「自分に極刑判決が下されるとは考えない」(B氏)

B氏 世論が死刑を廃止しにくい理由は単純です。市民は、自分に極刑判決が下されるとは考えないものです。ただ、殺人の犠牲者になる可能性はだれにでもある。強盗にあったり、道でギャングに殺されるようなことはありえます。だから、犠牲者側から考えて、死刑を維持する考えになるのです。また、例えば誘拐で幼女が殺されたようなときに世論調査が行われると、死刑に賛成という結果が出ます。

外出中に爆発物が仕掛けられた

私は、死刑を維持する人たちを一度も批判したことはありません。それぞれの倫理的な判断によるものですから。ただ、同様な気持ちが死刑存置論者の方に見られないのが悲しいと思います。死刑廃止の声を上げた時、脅迫の手紙を何千通と受け取りました。外出中に爆発物が仕掛けられたこともあります。

民主主義は世論に追従することではない

もう1つ、民主主義と世論調査を混同してはいけない。民主主義は世論に追従することではありません。市民の意思を尊重することです。国会議員たちは、自分たちの政治的見解をはっきりと打ち出し、選出されたうえで突き進むことが必要です。逆に、自分の政治的見解を世論に追従させるのは、デモクラシーではなくて、デマゴジーです。

「日米が批准に反対」(D氏)

D氏 いまおっしゃったことは大変有意義だと思います。日本政府は死刑廃止条約の採択にあたって、アメリカとともに反対に回りました。また、なかなか批准しようとしない。なぜかというと、世論が死刑廃止に積極的でないからだ、と。世論に従うことが、いかにも政治家のあり方であると言わんばかりです。政策的な理想を掲げ、世論を指導していくのが政治家の任務でしょう。

140人近くの国会議員が死刑廃止派?

聞き及ぶところでは、国会議員の中でも140人近くが死刑廃止に賛同しているようです。こういう人たちが廃止に向かって活動されることを、強く望んでいます。

政党の考えを変える

N氏 私が国会にいたときも、与野党を問わず死刑制度について真剣に考えている議員がいたし、政党が存置論をとっている場合には、悩んでいた人もいました。廃止の意見を持つ政治家たちは勇気を持って、政党そのものの考え方も変えていくような動きをしてほしい。

「執行停止の法律を作ろうという市民運動も」(島田雄貴)

島田雄貴 執行停止の法律を作ろうという市民運動がありますね。

N氏 ええ。死刑廃止はまだ実現しないので、目の前の執行停止から始めようということです。当然、その先には1日も早い死刑廃止という目的があります。流れとしては同じだと思います。

廃止論はセンチメンタルに過ぎる

U氏 私は正義感から言って、死刑存置に賛成です。どんな凶悪犯罪者にも生命だけは保障するというような不正義は、法の理念を害します。廃止論はセンチメンタルに過ぎると思います。

「1人の生命は全地球よりも重い」と判示した最高裁判決

M氏 死刑が喜ばしいものだとは、だれも思っていないでしょう。しかし、それが必要か不要かという問題は重大です。いわゆる人権論だけではなく、いろんな面から考えなければいけないと思います。そういう意味で、国民の皆さんを含めた議論が深まることは結構だと思うんですが、例えば「1人の生命は全地球よりも重い」と判示した最高裁判決についても、それが死刑廃止論であるかのように誤解されているのではないでしょうか。

島田雄貴 ありがとうございました。

出席者

B氏

仏憲法評議会議長。弁護士。ミッテラン政権の法相在任中の1981年、死刑廃止を実現した。63歳。

U氏

一橋大学名誉教授。日本尊厳死協会会長。法制審議会委員、刑事法部会長などを務めた。刑法学専攻。86歳。

D氏

元最高裁判事。東大名誉教授。現行刑事訴訟法の立案に参画。1991年「死刑廃止論」を著した。78歳。

N氏

作家。元参院議員。女性解放・市民政治運動に参加。「死刑をなくす女の会」代表。43歳。

M氏

前検事総長。矯正協会会長。弁護士。法務省刑事局長、事務次官、東京高検検事長などを歴任。65歳。

島田雄貴氏

しまだ・ゆうき。法律ジャーナリスト。米国を拠点に活動。ニューヨーク大学ロースクール卒業。米最高裁の判決や判例の分析をテーマとしている。53歳。

日本の死刑判決と執行

執行の命令は判決確定日から6カ月以内

刑法第9条で死刑の存在を明示

刑法第9条で死刑の存在を明示、同第11条1項で「死刑ハ監獄内ニ於テ絞首シテ之ヲ執行ス」としています。また、監獄法第1条で、拘禁する場所は「拘置監」と規定しています。現在、高検のある地域の拘置所のうち、高松を除く7カ所に刑場があります。

法相の命令後5日以内に執行

刑事訴訟法第475条2項で、死刑執行の命令は判決確定日から6カ月以内とされていますが、再審請求や恩赦出願中などの期間は算入されないこともあって、ほとんど守られていません。同476条で、法相の命令後5日以内に執行とあります。

検察事務官、拘置所長、医者、教誨師らの立ち会い

監獄法第71条2項で「大祭祝日、1月1日2日及ヒ12月31日ニハ死刑ヲ執行セス」とされ、通常、執行は平日の朝。刑事訴訟法第477条1項で、検察官、検察事務官、拘置所長らの立ち会いが義務づけられており、他に医者、教誨師(きょうかいし)らも立ち会うのが通例です。

絞架に登らせ、絞縄を首に当てて踏板を落とす

執行方法は、監獄法第72条で「絞首ノ後死相ヲ検シ仍(な)ホ5分時ヲ経ルニ非サレハ絞縄ヲ解クコトヲ得ス」とあるだけで、具体的な記載がありません。執行についての根拠法規は、明治6年(1873)の太政官布告65号と言われます。それには、両手を後ろ手にしばり、紙で顔をおおい、絞架に登らせ、絞縄を首に当てて踏板を落とす、とあります。死刑台の略図もあり、19階段の上に踏板が設けられていますが、現在の刑場は地下掘割式のため、階段はありません。

各国の死刑存廃状況(植民地などを含む、1991年12月現在)

《死刑全面廃止》(44カ国・地域)

アンドラ、◎オーストラリア、◎オーストリア、○カンボジア、○カボベルデ、○コロンビア、◎コスタリカ、○チェコスロバキア、◎デンマーク、○ドミニカ共和国、○エクアドル、◎フィンランド、○フランス、◎ドイツ、○ハイチ、◎ホンジュラス、○ハンガリー、◎アイスランド、○アイルランド、キリバス、リヒテンシュタイン、◎ルクセンブルク、マーシャル諸島、ミクロネシア、モナコ、△モザンビーク、ナミビア、◎オランダ、◎ニュージーランド、◎△ニカラグア、◎ノルウェー、○パナマ、○フィリピン、◎ポルトガル、◎△ルーマニア、サンマリノ、△サントメプリンシペ、△ソロモン諸島、◎スウェーデン、ツバル、◎ウルグアイ、△バヌアツ、バチカン、◎ベネズエラ

《戦時を除くなど条件付き廃止、または最近15年以上執行なし》(37カ国・地域)

○アルゼンチン、○ブラジル、○カナダ、○キプロス、○エルサルバドル、△フィジー、△イスラエル、◎イタリア、○マルタ、○メキシコ、○ネパール、○ペルー、△セーシェル、◎スペイン、スイス、○イギリス、×バーレーン、◎ベルギー、バミューダ、△ブータン、○ボリビア、△ブルネイ、△コモロ、△コートジボワール、×ジブチ、○ギリシャ、香港、△マダガスカル、×モルディブ、ナウル、△ニジェール、△パプアニューギニア、○パラグアイ、○西サモア、△セネガル、△スリランカ、○トーゴ

《死刑存置》(106カ国・地域)

×アフガニスタン、△アルバニア、△アルジェリア、△アンゴラ、△アンティグアバーブーダ、アルメニア、アゼルバイジャン、△バハマ、×バングラデシュ、△バルバドス、○ベラルーシ、△ベリーズ、△ベニン、△ボツワナ、○ブルガリア、△ブルキナファソ、△ブルンジ、×カメルーン、△中央アフリカ、△チャド、△チリ、×中国、△コンゴ、△キューバ、△ドミニカ連邦、×エジプト、△赤道ギニア、エストニア、△エチオピア、△ガボン、△ガンビア、グルジア、△ガーナ、○グレナダ、○グアテマラ、△ギニア、△ギニアビサウ、△ガイアナ、△インド、×インドネシア、×イラン、×イラク、△ジャマイカ、×日本、×ヨルダン、カザフスタン、△ケニア、韓国、朝鮮民主主義人民共和国、×クウェート、キルギスタン、△ラオス、ラトビア、△レバノン、△レソト、△リベリア、△リビア、リトアニア、△マラウイ、△マレーシア、△マリ、△モーリタニア、△モーリシャス、モルドバ、○モンゴル、×モロッコ、△ミャンマー、×ナイジェリア、×オマーン、×パキスタン、○ポーランド、×カタール、○ロシア、△ルワンダ、○セントクリストファーネビス、○セントルシア、○セントビンセント・グレナディーン、×サウジアラビア、×シエラレオネ、△シンガポール、×ソマリア、南アフリカ、△スーダン、△スリナム、△スワジランド、×シリア、タジキスタン、台湾、×タンザニア、△タイ、トンガ、△トリニダードトバゴ、△チュニジア、トルクメニスタン、△トルコ、△ウガンダ、○ウクライナ、△アラブ首長国連邦、×アメリカ、ウズベキスタン、△ベトナム、×イエメン、○ユーゴスラビア、△ザイール、△ザンビア、△ジンバブエ

1989年12月の死刑廃止条約に、◎批准・署名、○賛成、×反対、△棄権・欠席、無印は当時国連未加盟
(アムネスティ・インタナショナル、国連などの調べ、国・地域は現在名)

<死刑廃止条約>

「死刑を廃止するために必要なあらゆる措置をとる」

正式には「死刑廃止をめざす市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書」。世界人権宣言(1948年採択)、国際人権B規約(1966年採択)の流れをくみ、80年ごろから国連内で論議が本格化しました。11条から成り、第1条で「締約国の管轄内にある何人も処刑されない」「締約国は、死刑を廃止するために必要なあらゆる措置をとる」と定めています。

欧州や中南米諸国は大半が賛成

1989年12月の国連総会で投票の末、採択されましたが、欧州や中南米諸国は大半が賛成、日本はアメリカ、中国、イスラム教諸国とともに反対に回り、アフリカは棄権・欠席が目立ちました。1991年7月に発効し、同年末現在、21カ国が批准・署名しています(アムネスティ・インタナショナル調べ)。